ゆたか幼稚園は、埼玉県三郷市の幼稚園です。
  幼児にとって遊びは学び
そして、遊びを通して学ぶことは自分探しの旅の始まり

 子どもとの日々の生活は楽しく、また刺激に満ちたものです 
日々の生活を通しての園長の実践と考察



カナヘビ 
 
オオスカシバ
 
ホウジャク
 
花手毬
 
ハラビロカマキリ

子どもたちの会話に登場する虫たちと花   

第1回 カマキリはだれのもの!?
  NHK「白熱教室」アメリカのハーバード大学で、最も人気のある授業 
 サンデル教授の正義とは何か
を問う、あの学生たちの討論
(日本語字幕付き)を彷彿とさせる幼い子どもたちの情熱あふれる会話を
ご紹介します。
 
  保育実践事例 15  「いざこざが起きた」意見の違いをどう捉えるかー        
 
  虫の動きを見逃さないR男
 
 今日も、年中組の男児R男やH男、K男は虫探しで、花の周りや木々の周りを
注意して覗き込んでいました。R男は虫探しに夢中に取り組んでいる素直で
素朴な幼児です。したがって、 、花の周りや虫たちが 動く微かな動きも見逃
しません。 時々、R男は「見つけた。見つけた。早く。早く」と、  
自分の網では届かないところにいる虫などを発見しては、
それを捕まえて欲しいと訴えてきました。 
私はその場に近づいて、R男が指差す方向に目を凝らして見ますが、見つけられ
ませんでした。 「どこにいるの?」と私が聞き返すと、
  R男は「どうしてトカゲの居場所がわからないの?」と、けげんな顔をしました。
  「あそこに、トカゲがいるでしょう」      カナヘビ
  「どこ?」
  「あそこ」                
  「あっ、わかった」 
  そうこうしていいる内に、トカゲ(カナヘビ)は草むらに隠れてしまい、捕まえる
ことができませんでした。R男はがっかりしながら、また次の虫探しに出掛けました。 
 
虫の名前や生態をよく知っているH男
 
  一方、H男も虫が大好きで、毎日のように友達と虫探しをしていました。
H男は家庭でも虫探しをしているらしく、また、そのことを 家族の方が援助してい
らしく、虫のこと、例えば、いろいろな虫の名前や生態についてよく知っています。 
             オオスカシバ
  時々、 蛾の仲間でありながら、羽が透明なオオスカシバが花の蜜を吸いに園庭の
花にやってきます。ある日、私は得意がって「見て、オオスカシバが飛んできたよ」と 
H男に伝えた時、H男は「ヒメホウジャクだよ」と訂正しました。
   ホウジャク
  私がオオスカシバと思っていた蛾は、実はヒメホウジャクという同じ蛾の仲間でした。
形や飛び方はよく似ています。ただ、羽が透明であるかそうでないかの違いでした。
その違いを4歳児のH男は知っていました。 したがって、他の虫好きな男児より、
虫に対する興味関心が少し違うように思われました。友達が虫を発見しても、特に
興奮することもなく冷静に対応しているように見えました。 
   
カマキリ、見つけた!


  今朝、私が花に水を与えていた時、花手毬という花の葉と葉の間に、葉の色とは
違う明るい黄緑色が目に飛び込んできました。その色に注視すると、 
それはハラビロカマキリで、餌を待っているようでじっとしていました。
私はこのあたりに何匹かまだ生息していると確信しました。
  そこで、10メートルぐらい離れた別の花の一角をのぞいてみると、案の定、
ハラビロカマキリが子どもの目線より少し高いところの花の枝に潜んでいました。               
近くでは、4歳児のR男やH男たちも同じく虫を探していました。
                        ハラビロカマキリ
   私は思わず、叫びました。「カマキリ、見つけた」  
  すると彼らが集まってきて、口々に尋ねてきました。
  「どこ?」
  「どこ?」
  「カマキリはどこにいるの?」
  「花の枝に隠れているよ。よく探してごらん。」
  「見つからない。どこ?」
  「あそこ。よく見て」
 「あっ、いた。カマキリだ」
  R男は、特に興奮していました。しかし、幼児たちが網を使っても、そのカマキリは
捕まえ られないほどの高さにいました。また、枝が込み入っているところにいました。
そこで、私が網を使って、そのカマキリを捕まえることにしました。
 僕のだよ! 違う、ぼくのだ! 。。。。

  私でもそのカマキリを捕まえるのに多少苦労しました。やっとの思いで、そのハラビロ
カマキリを網で捕まえることができました。その瞬間、R男、H男、K男は網の周りに集ま
 って、そのカマキリを手でつかもうとしました。
  「僕がとる」
  「違うよ、僕だよ」
  と、R男とK男が言い合っているうちに、H男が素早くカマキリを捕まえて、観察ケースに
入れてしまいました。
 そうしたら、R男が激怒してそのことに噛み付きました。
  「僕のだよ。それは。だって、僕のは、もう弱っているから」
  「いや、違う」
 「これは、先生が捕まえたから、H男とK男と先生で飼うんだ」
 「ずるいよ、僕が飼うんだ」
  「先生が捕まえたから。。。」
  「どうして、そんこと言うの。僕が飼うんだ」
 4歳の虫好きの男児3~4人が1匹のカマキリをめぐって、ああだの、こうだのと
  5~6分口論が続きました。
 カマキリは誰の手に。。。     

 R男は最後まで自分の主張を通しましたが、結局、そのカマキリはH男が飼う
ことになりました。その後も、彼らの虫探しは続いていました。
 私は、久しぶりに、情熱溢れる、凄まじい程のいざこざに出会いました。この
生命的応答性こそが、幼児一人ひとりが真剣に生きていることの証のように
思われました。私とて、その迫力に圧倒され、そこに加わることも出来ず、ただ
呆然と事の成り行きを見守るしか方法はありませんでした。
しかし、こうした意見のぶつかり合いが最近少なくなっていることは
残念なことです。
 
子どもたちは遊びを通して様々な体験をします。
時には言い合うこともあります。でも、子どもたちはその体験から相手の
立場や心情を察することを学びます。
 
H男が普段から実際にカマキリを飼い、よく面倒を見ているのを他の
ふたりの子どもたちは知っていました。またH男も友達がどんなに
カマキリが欲しいか、その気持ちを肌で感じていたはずです。
翌日も、子どもたちは、皆で一緒に虫探しに外に飛び出していきました。
溢れるほどのエネルギーに満ちた子どもたちに脱帽です。